日本人が大切にしてきた「神仏を敬う心」。私もこの心はよい人生を歩むにはとても大切と思っていますが、
神仏を敬うってどういうこと?
なぜ大切なの?
そもそもの、言葉の意味を確認する
広辞苑でそれぞれの言葉を調べると、次のような意味が出てきます。
神:
人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
仏:
悟りを得た者。仏陀ぶっだ。仏像。死者またはその霊。
敬う:
相手を尊んで礼をつくす。尊敬する。
これらをまとめると、神仏を敬うというのは、人知を超えた力、仏様・先祖を尊敬して、礼を尽くす。
私たち人間には計り知れないもの、目に見えないエネルギーやご先祖様たちを尊敬して、礼儀をわきまえる。
その存在を大切にした言動を行う。
そんな意味と解釈できますね。
なぜ神仏を敬うことが大切なのか
ユダヤ教の男性は、小さなお皿の形をした頭の上に乗せるような帽子をかぶっているのをご存知ですか?
その帽子は「キッパー」といいます。
キッパ—をかぶり頭を隠すことで、神様に対する尊敬の意を表する。
常に神様が頭の上にいる。ということを忘れないためのもの。
自分以上の存在がいる
そう常に思うことで、傲慢になる気持ちを抑える。
人間の欲望に歯止めをかける。
人の欲って、良いも悪いも際限がないというか、もっと・もっとという気持ちが出てきますよね。
人としてまっとうに生きるには、その人間的本能を抑制するバランスが大切。
そのバランスを保つために、常に神仏の存在を感じておくことが必要なんですね。
神仏を敬う心を見直す必要性
今、世界で猛威をふるっているコロナ感染問題。
いつ終息するのか、また終息後どうなるのか、だれにもわかりませんよね。。
巷では本当か嘘かはわかりませんが、コロナウイルスは人工的に作られた、なんていう話も耳にします。
また科学が発達して、気象やクローンなど生命も人間がコントロールできる時代。
物は豊富になり、手元にはスマートフォンという小型パソコンが常にあるという便利な環境。
それらを生み出した人間の力はすごいと思うけれど、何かが違う。おかしい。そんなことを私は感じています。
手塚治虫がこんな言葉を残しています。
(手塚治虫オフィシャルページより)
いろいろな意味で、これから人間がどう生きていくのか。
どうあるべきなのか。
コロナ問題をきっかけに、自然への畏怖や人としての在り方がより問われるようになってきています。
最後に
日本人の多くは無宗教と言われていますが、いまだにコンビニエンスストアよりも神社の数が多く、自然信仰・ありとあらるゆものに神を見てきた民族。
トイレの神様や、かまどの神様、貧乏神さまにもあるように、身近あるどのような存在「モノ」だけとして見ず、その中に神様を感じて尊び礼を尽くしてきたんですね〜
日頃私はよく神社へお参りに行きますが、見かけは今時!の若者が熱心に参拝をしていたり、初詣に行くと普段は神社に来ないだろうな〜という人々も、みんなこぞってお賽銭を入れて拝殿の前で手を合わせている。
そんな姿を見ると嬉しくなってしまうんですが、これは無意識のうちに先祖代々神仏を身近に感じて大切にしてきたDNAが体内に組み込まれているからだと私は思っています。
あらためて、神仏を敬うとは
私たち人間には計り知れないもの、目に見えないエネルギーやご先祖様たちを尊敬して、礼儀をわきまえる