今日は「質素の徳」についてです。質素倹約を旨とし なんて言葉があるように、「質素」は日本人が昔から大切にしてきたことですが、ここ最近、ほとんど聞かない言葉になってしまいましたよね〜
ネット・テレビを見ていたら、グルメやファッション、新商品のCMなど、食べたい〜!欲しい〜!の目白押し。毎日生活しているだけで欲望スイッチが押されまくりですよね笑
そんな中、時代錯誤のような今日のテーマ「質素」
この質素、プライスレス〜お金で買えない価値がある〜だったのです。(〇〇カードのCM風笑)
ということで、質素の良さについてみていきましょう。レッツスタート!
質素ってそもそもなんやねん?
はい、質素の意味ですね。大阪っぽい問いかけになりましたが話に入るにあたり、ここはまず意味をとらえておきましょう。
質素とは
1 飾りけがないこと。質朴なこと。また、そのさま。「質素な身なり」
なるほどなるほと、簡単に言うと贅沢をしない。ということですね。ではでは、もう少し突っ込んで贅沢って改めてどういうこと?ですが、
おおーー!別に買う必要もないのに、ついつい欲望に任せて購入ボタン「ポチッ」ってな行為ですね。私贅沢はしてません〜!と自信満々で思っていたけれど、これはたまにやっています笑
みなさんもコロナ在宅で、ネットサーフィンしながら思わず「ポチっ」やっていませんかー??テレビショッピング見て、思わず電話をかけていませんかー??
今私たちは普通に生きていたら欲望のスイッチを押されまくりの環境下なので、知らず知らずに贅沢をしている。
贅沢って特別なことじゃなくて「必要以上」というのがポイントだったんですね。はぁ、知らなかった!
では質素って何がいいの!?
欲望のスイッチを日ごろ押されまくりの私たちにとって、ではなぜ質素がいいのか。ハイ、こちらが森先生のお言葉です。
普通に質素ということを、単に経済上の問題と考えやすい向きがあるようですが、もちろん経済上の立場からする質素倹約ということも、それ自身大いに意味のあることではありますが、しかしわたくしは質素の意義は、それ以上に精神上の価値があると思うのであります。
お金が節約できるというメリットはあたりまえ〜。物理的だけでなく、精神的な価値がとーーーーってもある。ということなんですね。
そして精神的な価値??それはどんなことかと言うと・・
例えばマッチなどでも、その辺に幾らも転がっていれば、「なあに擦り損なったとしても幾らもある」とぞんざいに扱いますが、もしそこにたった1本しかなかったとしたら、一本のマッチをする時、私どもの心はいかに緊張することでしょう。
物が乏しくてつつましやかな時に、初めてその真の値打ちを知ることができるのであります。
なるほど〜。これについてみなさま、最近実感することはありませんでしたか?何かというと、、コロナ騒動が始まった当初に起こったトイレットペーパーの買占め問題!
この時、我が家のトイレットペーパーは残り3ロールしかなくて、ドラッグストアの長蛇の列に並ぶのも時間的に難しい。なのでなんとか騒動が落ち着くまでもって〜!と心の中で叫びながら、ドキドキしながら、ちびちびと使っていました。
この時ほど、トイレットペーパーのありがたさを感じたことはありません笑
そして、マスクもしかり。マスクは使い捨てが当然。洗って使うなんて発想はこれまでの常識には皆無。それがもう、丁寧に洗って、干して、なんてことをしてました。
こう思うとコロナ騒動って、これまでとは違う、忘れていた大切なことを気付かせてくれるきっかけでもあったんですね。やはりデメリットもあればメリットもある。まさに宇宙の法則!
質素は心が引き締まる。そして感謝の気持ちが生まれることが素晴らしい!
ということで、森先生がおっしゃる質素の徳。すばらしきメリットは何かというと
質素の与える精神上の収穫は何かといえば、それによってわたくしたちの心が引き締まるということでしょう。
どうもぜいたくに育った人は、人間としての引き締まりにおいて、とかく欠けやすいものであります。
そうした心の引き締まりからして、初めて物に対して感謝の念も沸いてくるのであります。
それに対して、森先生。次のとおりばっさり一刀両断です。
口だけではなんちゃって感謝
感謝などということは、口ではだれでもよく申しますが、これはなかなか難しいことであります。
実際物に対して真に心からありがたいと思うのは、決して容易なことではないでしょう。
物に対して真にありがたいと思う心が起きますと、それは必ず、何らかの形をとって現れるものであります。ですから何ら形の上に感謝の気持ちが現れるにいたらない間は、たとえ口ではなんといってみても、結局真の感謝の心にはなっていないわけであります。
そしてさらにさらに、
昔の心ある人々は、ごはんの最初の幾粒かを、まず膳の脇へ取って除けておいたものであります。
それは食物の神に対して捧げるわけであります。
そしてそれを食事の済んだ後、集めて庭の小鳥たちに与えたという話さえあります。
食事をいただくときは「いただきます」と手を合わせて、ありがたく頂戴する。感謝の気持ちを忘れずにできているわぁ、なんて思っていましたが、当然神様に捧げる、なんて行為は行っておらず、速攻パクパクパク。。しかし昔の心ある方は食事を食の神様に捧げる行為までしていたとは!
質素をしても卑しくなるな!
(質素)を単に経済上の立場からのみ考えますと、質素ということも、いたずらに人間を卑しくする所業ともなりかねないのであります。
そしてこの点は、深く注意を要することと思うのであります。
質素と卑しさ、表裏一体。わかります!というのも私の経験ですが、これまでに生活がいっぱいいっぱいで全財産が1000円を切ったギリギリの時があったんですよね。。その時は目指せ!食費1万円生活〜をやっていたんですが、結局お金ばかり気にして、もう、ストレスがたまるたまる。その反動で、安くて、すぐゴミになりそうな服とか、雑貨とか買ってしまったり、周りを羨んでみたり。。まさに卑しい節約して、卑しい自分になったことがあります。
でも今回の森先生の教えでわかりました!重要なのは、物に対する感謝の気持ちがベースにあり、その結果、無駄に使わない、ということ。
結局金にばかり意識を向けるのではなくて、そのモノ自体を大切に思うことが大切。モノさんたちに
「ありがとうございます〜」
「ありがたく遣わせていただきます〜」
「あなたがたのお命、無駄にはいたしませぬ〜」
そんな対話がそもそも必要ってことですね!
まとめ:物さんありがとう!感謝&質素ゲームをやってみよう
はい、そして森先生の講義、最後の締めです。
最初の間はわずかなことでよろしいですから、何か自分の身の周りの事柄の中で、一つ二つ進んで質素の工夫をしてみられるがよいと思います。
すべて修養上の工夫というものは、他人に話せば笑われるようなことでも、そこにその人の自覚さえあれば、内に限りない意味を見出されるものであります。
とにかく、モノに対して「ありがとう〜」と思うなんちゃって感謝だけでなく、質素の工夫をしてみましょう!ということですね。私はですね、これをまず行います。
トイレットペーパーを大切に使う!
ことわざの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」じゃないですけれど、あのドキドキ感がすっかり失せて、無駄に使っている。。。なので「トイレットペーパーさん、ありがとう〜」といった心持で無駄に使用しない。コレを行っていきます!
みなさまは、どんなことを実践されますか?ぜひ自分だけの「感謝&質素ゲーム」に取組んでみてはいかがでしょうか。まずは「モノさんたち〜ありがとう〜大事に使うよ」という気持ちを忘れずに。そうすれば、神様に愛されるためにまた一歩前進、間違いなしですよ!
ということで、今日はこのへんで。
次回は「整頓」です。これは以前の神様に愛されるヒューマンスキルの記事でも「整理整頓」として取り上げたテーマですが、形だけでない、心の部分にフォーカスした教えをお伝えしていきます。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。引き続き一緒に学んでいきましょう〜!